近代の超克論議についての簡単なデッサン

僕は当章をながれる裏テーマとして、昭和17年、雑誌『文学界』誌上で行われた「近代の超克」論争をひそかにおいていた。また「近代の超克」という言葉自体が、当時の知識人たちのあいだで流行語になりえたことからも、この座談会は時代的な現象であったといわねばならない*1。「『近代の超克』は、いわば、日本近代史のアポリア(難関)の凝縮であった。復古と維新、尊王と攘夷、鎖国と開国、国粋と文明開化、東洋と西洋という伝統の基本軸における対抗関係が、総力戦の段階で、永久理念の解釈を迫られる思想課題を前にして、一挙に問題として爆発したのが『近代の超克』論議であった」(竹内好)*2という見解からすれば、「近代の超克」とは、近代日本ナショナリズムに規定された思想問題の結末ともいえるだろう。
それは総体として大東亜戦争の正当化をうながしたものとして機能したことになっているが、注目すべきはその座談会に参加した各分野の多様な立場の思想家たちが、明治以来の「西洋」伝来による観念の変容に決意をもってそののりこえを図ろうとした、という意味においてはひろく「日本」の再考をうながす契機となったことである。とすれば、最初期より「外部―内部」的認識の前提の下に展開していった近代「日本国」建築の、一定の段階における結論としても、「近代の超克」という問題は読解されうるかもしれない。

*1:竹内好による。論文「近代の超克」、『近代の超克』富山房百科文庫、1979年に所收 文中、p.274

*2:前掲に同じ、文中p.338