本稿は早稲田大学理工学部建築史研究室の修了論文である。今でも思い出すのは、この原稿が、隣の古ぼけたアパートが壊されていたときに書かれたものであったということだ。ちょうどバブルの激しかった時期で、その余波が、僕の住んでいた下町界隈にも及んできていたのだった。別に家のまわりの風景に拘泥していたつもりはないのだが、さまざまなウラミツラミまでをも含んだこの風景が、ブルドーザーの一振りで消え去ってしまうことを実感したとき、僕をつちかってきた記憶のはかなさに狼狽せざるをえなかった。そのあとは一日中コタツに入りながらやみくもにキーをたたいていた。

三年間勤めていた建設会社を退職して、研究室に戻ってきたときに、夢本のことを知って応募した。押入れのなかにしまったまま、それでいいという気にならなかったからである。今回の校正作業にあたって、なるべく原文を尊重したが、最近考えたことを多少つけくわえてもいる。具体的には技術と「実用技術」についての考察の部分である。技術は中立ではない、このことに気づかせてくれたのは、会社での現場研修の際に、まるで大蛇のようにのたうっていたコンクリート打設機と、技術史家中岡哲郎の一連の著作を読んでからである。
月並だが、この論に目をつけてくれた審査員ならびに編集部の方々とともに、不肖な生徒を、今でも在籍させてくれている研究室の中川武教授にまずお礼を述べたい。おそらく中川の史観に触れることがなかったら、僕は本当に落ちこぼれていただろう。それから一緒に研究をした友達、特に六反田千恵、志柿敦啓の批判も本稿を鍛え直すのに一役かってくれている。言いたいことだけいって心もとない論文だが、これまでの先行研究者たちが積み上げてきた成果によらなければ、この論は生まれるてだてさえ持たなかっただろう。ぜひ諸先輩の叱咤をいただければと思う。
一九九三年九月

中谷礼仁