2007-12-01から1ヶ月間の記事一覧

『国学・明治・建築家』関連年表

一七三〇享保十五 三重県松阪本町で本居宣長生まれる。本名小津富之助。 一七五六宝暦六 本居処女作『排蘆小船』成る。彼の「日本的なるもの」追及の端緒。 一七七一明和八 本居『直毘霊』成る。作為性の回避としての「道」概念の発明。 一七七六安政五 平田…

本稿は早稲田大学理工学部建築史研究室の修了論文である。今でも思い出すのは、この原稿が、隣の古ぼけたアパートが壊されていたときに書かれたものであったということだ。ちょうどバブルの激しかった時期で、その余波が、僕の住んでいた下町界隈にも及んで…

地図にない言葉をさがしに

(このあとがきはそれほどよい出来ではないと思うのだけれど、書き直すための記憶が脱落してしまっている。当時の24歳の頃の自分の人格を尊重しておきます。)明治以前から1960年代まで一貫した視点を保持するために持ちだした、「論理を還元する者」と「論…

今回の掲載時点では著作権のある写真、図版(特に4章)は割愛しております。

それらについては今後、ヒマな時にでも当方が撮影した図版等で補っていきたいと思っています。 ただどうしても補えない写真というものがあるものです。 4章で一番使いたかった写真は、丹下健三氏自身が撮影した写真でした。 藤森照信著『丹下健三』にも掲載…

東京計画1960

あの灰色の雲のようなもの。巨大な煙幕は急速にかたちを整えつつあった。紛れもなく何かが生まれつつあった。『メイコン・ハインツ』だ。*1 1960年6月23日、新安保条約が批准された。まれにみる動員力を誇った反対運動は新たな局面を迎えていた。9月には早々…