今回の掲載時点では著作権のある写真、図版(特に4章)は割愛しております。

それらについては今後、ヒマな時にでも当方が撮影した図版等で補っていきたいと思っています。
ただどうしても補えない写真というものがあるものです。
4章で一番使いたかった写真は、丹下健三氏自身が撮影した写真でした。
藤森照信著『丹下健三』にも掲載されていますから、ご存知の方もおられると思います。
もと墓地であった広島平和記念会館、まだ墓石や塔婆が乱立する間から、コンクリートの型枠がとれた直後、ピロティによって持ち上げられた記念館が屹立しているという極めて印象的な写真です。
丹下氏の建築の原風景でしょうか。とにかく使いたくてしょうがなかったのでした。

編集者の方に相談すると、そりゃ当然著作者に許可もらわないとといけないことになり、丹下健三氏自身に許可をいただくことになってしまいました。
編集者を通してお願いをすると、とりあえず読まれるとのこと。。。
若気の至りの本ですから、読んでいただいた方はお分かりになると思いますが、こんな内容の原稿を丹下氏自身に送る時の気持ちを考えてみて下さい。本当に恐怖の時間でした。

1週間経って、許可がとれたとの報告を編集者の方からいただきました。当方は丹下さんが当方による彼への批判的オマージュを読んでくれた、それもしっかりと読んでくれたと、今でも信じています。でなければあの写真は決して貸さないと思います。