2007-10-01から1ヶ月間の記事一覧

「自己」とナショナリズムとの相克する観念世界を読み解く

当時よりひいては現在に至るまで、近代「日本国」建築総体の主役は、「空気」となった本居的モダニズムである。そしてその基調の中でいわゆるフリー・アーキテクトによる多様な変革への試みが繰り広げられる。 一般に、分離派から建築運動がはじまったといわ…

3・1・1 「自己」とナショナリズムとの相克する観念世界を読み解く 3・2・1 不可視の清らかさ…谷口吉郎を通して 3・2・2 分離派批判 3・2・3 清らかな意匠…「あるがままの美学」の論理構造 3・2・4 『自然』信仰…つくることへの疑い 3・3・…

建築構造学のその後の進展について思うこと

第二章では、明治建築を終わらせた構造学の大正期の制度的進展と、その本居的性格、そしてそれに対してのカウンターとしての分離派について書きました。単純に言えば構造家と建築家の対立の発生をとらえたものであり、両者のその根拠を国学的視点からあぶり…

その「内部」的特質

つまり自らが閉じることによって「外部」を規定する、そのような性質の「自己創造」は対置的な状況のみに、激烈なかたちをともなうことができる。 我々は起つ。 過去建築圏より分離し、全ての建築をして真に意義あらしめる新建築圏を創造せんがために。我々…

分離派までの系譜

大正期の同僚の建築家から天才といわれていた後藤慶二は、大正8(1919)年病死した。彼の仕事に代表される大正初期の特定の思考をもった幾人かの建築家がいた。 鉄筋混凝土(註:コンクリート)の様式を選定するに当たって、第一に感ずることはこの材料の極めて自…

「自己」という殻

本居の虚無がまさに「空気」となりつつあったとき、その固定された枠組みの中で文字どおり分離を図ったのが、いわゆる分離派*1である。 分離の過程とは、つまり体制のナショナリズムとおのれとのズレを、なにはともあれまず観念として、次に創作として表出し…

本居的布置の制度的実体化

もっとも目立つものは佐野利器を主峰とする山脈。構造派と呼ぶにはあまりにもその山容は広い。大正八年公布の『都市計画法』『市街地建築物法』をテコとし、一二年の関東大震災を勢力展開の絶好の機会としてフルに利用した佐野の勢力は、その本拠地の東京大…

『国学・明治・建築家』関連人物リスト

ダイアリーを書き続けて30日経過すると、はてな市民になれて、はてなキーワードを作成できることになります。 ようやくその日がきましたので、以下の人物で、既にキーワード解説がなされている方以外の作成を行います。 ●本居宣長;もとおりのりなが、1730-1…

都市へ!…より広い領域への飛躍

ためしに大正8年「住宅と都市」の講演会における佐野の発表「規格統一」をあげてみよう。 規格統一とは謂はゆるスタンダイゼ−ションの意味であります、即物の大きさ形等に一定のスタンダ−ドを作りまして之を以て成る可く多数のものを統一することを云ふので…

「社会的責任」の誕生…日本資本主義の展開とその諸問題の諸問題に対処しようとする姿勢

「建築家の覚悟」で、佐野が国家に奉仕する必要性を説いた頃から、建築家の社会的責任という概念もまた明確に意識されるようになる。 最初期より行われていた建築学会の講演会は、大正5年より佐野の提唱によって合同講演会として統一テーマを決定して発表す…

外観についての無関心…ものいわぬ規範

■外観についての無関心 「構造技術者だから外観に言及しないのは当然だ」という考え方がある。しかし「当然」とはいったい何なのだろう? …建築美の本義は重量と支持との明確なる力学的表現に過ぎない事と思はれる、「スタビリティー」と云ひ落ち着きと云ひ…

「技術主義(実用主義)」の肥大化 

技術を「実用」にむすびつける思考形式は、佐野によって明白にナショナリズムのバック・ボーンを有するものであることをあらわにしている。それはインターナショナリズムあるいはモダニズム的思考が奇妙にも(実際奇妙ではないが)「内部」と連動し得るとい…

佐野利器を通して

前章の最後にその一部を掲載した論文「建築家の覚悟」を執筆した佐野利器は、伊東忠太より10年遅れて、明治33年帝大の建築学科に入学した。そのころの授業は意匠教育に重点がおかれており、「形の善し悪しとか、色彩のことなどは婦女子のすることで、男子の…

「構造派」とは

近代「日本国」建築にあって、それ総体のゆく末を決定した、俗に「構造派」と呼ばれる一定のベクトルを持った人々がいた、とされている。彼らが日本の耐震構造をつくりあげたと同時に、現在でも強固な建築制度の大枠を規定した。彼らの大半は「建築家」に対…

耐震構造の歴史

前章においては近代「日本国」建築の出発点となった明治期における、建築論の特質を国学の二つの類例、「本居的なもの」「篤胤的なもの」との連関をはかりながら、再構築することをこころみた。その用語法について意識しなければならないのは、それが「日本…

佐野利器登場

大正9年3月29日、その日は丁度、前年になくなった辰野金吾の1周忌にあたっていた。東京帝国大学構内の山上会議場に参集した建築界のお歴々にまじって、身の丈5尺そこそこのしまった身体つきの男がいた。各人各様辰野との思い出話を披露する中、教授になり…

2・1・1 佐野利器登場 2・2・1 耐震構造の歴史 2・3・1 「構造派」とは 2・3・2 佐野利器を通して 2・3・3 技術(実用)主義の肥大化 2・3・4 外観についての無関心…ものいわぬ規範 2・3・5 「社会的責任」の誕生…「日本」資本主義の展開とその諸問題に対処…

第一章の「明治・国学・建築家」はたいへん思い入れのある章です。

今回節毎に切って毎日アップしているのですが、ちょうど書いていたときと同じぐらいのペースなのに気づいて、その時の焦燥感とか高揚感とかいろいろ沸いてきます。特に最後に引用させていただいた大岡信訳による岡倉天心の自分の飼い猫に当てた手紙(英語)…

捕獲される「美術」…「明治」の終わり

(*1・6・1が長すぎたので、二つにわけました。前半を見落とされている可能性もあるのでご確認下さい。) 話をもとに戻さなくてはならない。つまり伊東は篤胤同様、自らが気づかないうちにナショナリズム―「外部―内部」的認識―の無意味さをさらしてしまった。…

伊東忠太・・・「篤胤的なもの」の可能性

「日本建築」史家のフロンティアであり、当時すぐれた若手評論家であった伊東忠太の活躍した19世紀末から20世紀初頭にかけては、建築論の領域の拡大が、なにやら明るい調子をともなって、展開されている。それは伊東の提出した開かれた建築世界観として表れ…

本居的なものとしての「用vs美の二元論」

ここからは特に国学的な『自然』概念を、建築論的構造に定位させることを主眼としながら、再度明治期における、近代「日本国」建築の論理構造を組み立ててゆこう。 ■「用vs美の二元論」 まず日本的ナショナリズムの論理構造が、近世国学ならびにそれを成立さ…

「物語」としての妖怪談

篤胤は後年奇妙な一連の著作を発表しだす。『仙境異聞』、『古今妖魅考』、『勝五郎再生記聞』、『霧島山幽郷真語』などこれらの著作は、幽界あるいは幽界と現世の境界上に発生する、不思議なものがたりを語ったものである。 その年の四月ごろ、東叡山の山下…

平田篤胤(1776〜1843)

宣長が築き上げた国学的『自然』のパラダイム上で、その虚無を転倒させて、無限定な飛躍を図ったのが、篤胤であるといえる。 篤胤を学問として読むのは不毛に近い。彼は宣長の弟子を自称したが、彼が宣長を知ったのは宣長の没年より2年後であったことが知ら…

国学的『自然』の特質

そもそもうたの本来の性質は、神代の昔から永劫の未来に至るまで、少しも変わることがなく、それはちょうど人間の作為のおよばない、自然のようなものである。『排蘆小舟』*1 これは国学の獲得した、近世全体の知性のありように対する転回点的な言説である。…

本居宣長(1730-1801)

国学が現在でものりこえられるべき問題として残っているならば、それはひとえに宣長にかかっているということが過去の論者たちから指摘されている*1。宣長二十代の処女作である文芸論、『排蘆小船』は次のような出だしで始まる。 歌は政治を助けるものでもな…

国学にみるナショナリズム―「外部―内部」的認識―の変遷

ここでいう国学とは、近世における学術の発達と「国家」意識の勃発とにともなって興った学問のことをいう。それは記・紀・万葉などの古典の、主として文献学的研究にもとずいて特に儒教、仏教伝来以前の「わが国」固有の「もの」を明らかにしようとすること…

「日本的なるもの」の発見あるいは発明

近代「日本国」建築の起源において、課せられたナショナリズム―「外部―内部」的認識―は、もう一つの克服すべき問題を提起した。それは巷にいう「日本的なるもの」、その追求というテーマである。 一般的にそれは、様式に「本邦趣味」を加えることを明記した…

「美術」という価値

明治時代は言葉の発明が盛んに行われた時代であった。それこそ前述の特殊な交通によってもたらされたその運動は、具体的に何を指し示しているのか、深く考えるほどさっぱりわからない言葉の群れを生んだ。ここで本題としたい「美術」という言葉もその一例で…

ナショナリズム(「内部」−「外部」論理)…幕末から明治へ    

図1-1 寛文長崎図屏風(部分)、出島に代表される交易システムは、島が閉じられてからも洋風輸入のモデルとして明治政府に浸透していた。長崎市立博物館所蔵。 貴国も今またかくのごとき災害にかかりたまわんとす、およそ災害はにわかにおこるものなり、今よ…

1・1・1 ナショナリズム(「内部」−「外部」論理)…幕末から明治へ 1・2・1 美術という価値 1・3・1 「日本的なるもの」の発見あるいは発明 1・4・1 国学にみるナショナリズム―「外部―内部」的認識―の変遷 1・4・2 本居宣長(1730〜1801) 1・4・3 国学的『…