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佐野利器を通して

前章の最後にその一部を掲載した論文「建築家の覚悟」を執筆した佐野利器は、伊東忠太より10年遅れて、明治33年帝大の建築学科に入学した。そのころの授業は意匠教育に重点がおかれており、「形の善し悪しとか、色彩のことなどは婦女子のすることで、男子の…