4・1・3

伝統論争…「篤胤的なもの」  

そのような本居的土壌との対決という意味において、50年代の丹下が展開した伝統論を読解してみることは興味深い。もちろん「篤胤的なもの」などという存在があるわけないのだが、本居的『自然』の呪縛から離脱してゆこうとするとき、その丹下の姿勢は「日本…