国学的『自然』の特質

そもそもうたの本来の性質は、神代の昔から永劫の未来に至るまで、少しも変わることがなく、それはちょうど人間の作為のおよばない、自然のようなものである。『排蘆小舟』*1

これは国学の獲得した、近世全体の知性のありように対する転回点的な言説である。非論理として、成立すら望めないものが論理の領域内で「自律」しようとしたのである。「自然のままに」とは、見てきたように、何も言っていない、それによって規定されるものなど何も「無い」、ことにひとしい。
古代的な自然というものは、一見すると、何の味もなく取柄のないもののように見えるかも知れないが、それは人間の思考の限界によって汲み上げることができないものにすぎない、「それは遠い山が、ただぼんやりと見えるだけで、景色も何もわからないのと同様である」と宣長が言うとき*2、明らかに『自然』はメタフィジカルな意味を与えられている、と吉本隆明は言っている*3
しかしその形而上は空虚である。「日本(内部)的」なる思考に、理論としての限定は存在しない、それを推し量る基準も後から「発見」する以外にないから、「すべて」をそこに放り込むことができるし、飛躍も許される。しかし僕たちがそのようにして築き上げたものは、『自然』の観念的に無限な空間(あきま)に比べればほとほとチッポケなものだ。
つまり『自然』思想の最大の武器は「何も言わない」ことによって、全てを相対化しながら、完結することのないブラック・ホールとしての「内部」を生み出すことである。
以上のような意味で、『自然』思想はニヒリスティックである。それは今日まで僕たちをつなぐ、思想の礎としてあるはずだ。
『自然』概念を前にして、若き宣長もほとほと手を焼いたに違いない、はずである。「自然のまま」でよいのなら、現実に対して「何も言うことはない」からである。
彼は「ありのままなるもの」を現在において見失われているものとして、過去にあるはずの「日本的(ありのまま)なるもの」は、うたの読み方「たくみ」を用いて獲得されるとした*4。それは「日本的なるもの」の追求が、手法を通してしか発見(発明)され得ない類のものであることを彼に教えていたはずだが、その宣長を苦しめたはずの、手法という「作為性」を、アプリオリなものとして規定された「道」を発明することによって回避したのだった。後年の宣長、ひいては「日本的なるもの」をつなぐ「反論理」の系譜はここにすでに始まっていたといえるかもしれない。

この日本国は、畏れ多くも皇祖神天照大御神の出現なされた国であって、万国にすぐれているゆえんは、まずここにいちじるしい。国という国で、この大御神の恩恵にあずからぬ国はない。
大御神が、御手に天つに日嗣ぎの璽を捧げ持たれて、代々、天皇のしるしとして伝わって来ている三種の神器がこれである。未来永劫、わが子孫の統治すべき国であると、御ゆだねになったそのまにまに、皇位が天地とともに不動であることは、はやくもここに定まったのだ。『直毘霊』*5

*1:前掲の『本居宣長 日本の名著21』の現代語訳を用いた、p.117

*2:『玉勝間』を参照のこと

*3:「日本のナショナリズムについて」『吉本隆明著作集』13 政治思想評論集、勁草書房、昭和44年、p.102

*4:『排蘆小船』を参照のこと

*5:前掲の『本居宣長 日本の名著21』の現代語訳を用いた、p.169