第一章の「明治・国学・建築家」はたいへん思い入れのある章です。

今回節毎に切って毎日アップしているのですが、ちょうど書いていたときと同じぐらいのペースなのに気づいて、その時の焦燥感とか高揚感とかいろいろ沸いてきます。特に最後に引用させていただいた大岡信訳による岡倉天心の自分の飼い猫に当てた手紙(英語)を読んだとき、明治と言う時代がそのころ本当に終わっていったのだということを感じて胸が締めつけられそうでした。「君は一切を喜びの門を通じて学ばなければならない」という言葉は(多分に大岡氏の意訳も入っていますが)、それ以降自分の行動の格率となりました。

この本がでたとき、筆者の予想以上に好意的な反応をもらいました。中でも建築史学会という非常にアカデミックな学会の機関誌で結構長い評論が載りとても驚いたことを覚えています。評論いただいたのは初田亨先生。心うつ名著『都市の明治』の著者ですからそれはもう、うれしかったです。とても好意的な評論でしたが、擬洋風建築が脱落しているのはいかがなものかと言われたのを強く覚えています。確かにこのときは擬洋風建築については位相の違う問題だと思ったので意図的に外しました。あと本書の構図ではわからない動きをする人物、たとえば堀口捨己今和次郎のことも扱うことができませんでした。
しかしこれらは自分への宿題として残しておいたので、その後、チャンスがあったら挑戦しました。

  • 擬洋風建築については東大出版会発行のシリーズ 都市・建築・歴史[全10巻]のなかの第八巻に「様式的自由と擬洋風建築」という題名で言及しました。個人的に擬洋風はとても好きな建築なので、自分としては数ある擬洋風についての論点の中でもかなり総合的に言及させてもらったつもりです。
  • 堀口捨己については、岡崎乾二郎氏との連載『建築の解体新書』雑誌『10+1』No.15-21で岡崎氏に先を越されて言及されてしまいました。見事な評論です。
  • 今和次郎については、瀝青会と言う会(命名は石川初氏)を組んで、今和次郎が『日本の民家』初版を執筆した当初の地に訪れ、その民家がどうなっているのかを確認することから、逆に現在を知るという研究を行っています(2007年時点、雑誌『10+1』にて連載しています。)
  • それから第一章に登場した謎の人物「阿部今太郎」については、その後の博士論文で1章を割いてしつこく追求しています。これはacetate002『近世建築論集』に所収。

以上のように、当方はやり残した課題についてはかなり長ーくしつこーく覚えているようです。

もう言っていいと思いますが、建築史学会の機関誌の書評に取り上げられたあと、初田先生にはじめて会うときがありました。初田先生はとってもほめてくれながら、「でも中川先生(中川武、当方の指導教授、現在早稲田大学教授)は偉いですね。僕だったら目次の時点で即刻書き直しを命じていたと思います」と言いました。そうだ、そうだと納得しながら、指導教授の器の深さに感謝したものです。明日からは二章のアップの作業を継続します。