清らかな意匠…「あるがままの美学」の論理構造

谷口にいわせれば、「意匠心」は生活美につきるという。「意匠心」とは美しき造形を求める生活の「道」である。さかのぼれば、日本人の生活には、何から何まで、衣食住はもとより、政治も宗教も、すべてが詩と美しい形の創作であった時代があった、庶民生活の中から生じた生活美は、そのような多くの人々の造形力によって育てられた、という。
しかしそれは今、ここにはないのだ。人世の縮図が集結している、立て看板やポスターはいかにも醜い、という。遠い昔の「日本」のうるわしい「故郷」、あそこでは名もない人の心が、世界人的な感情を訴えていた、無名の工人が描く絵、あるいは彫る彫刻が、いみじくもその時代の「ようしき」をつくりあげていたという。

…その時代こそ、日本の美しき「故郷」であり、その美しさを思う心こそ、われらの郷愁である。そんな過去の偉大な造形力を思い起すと、現代のわれわれの胸には切々と、偉大な美に対する追慕の情が湧きあがってくる。『清らかなる意匠』昭和23年*1

そんな「故郷喪失」の想いを彼は「清らかなる意匠」という言葉に託した。生活にある「あるがまま」の美、しかしそれは今見失われている。

「あるがまま」なるものは遠い昔にあった、そう本居宣長も言った。

歌は政治を助けるものでもなく、身を修める手段でもない。ただ心に想うことをよむ、という以外に言いようがなく、そこに歌本来の姿がある。
…もちろん、いまでも、こころのままに歌によんで、つもる思いを晴らすのはすこしもまちがいではない。しかし歌詠みにとっていちばんたいせつなことは、すぐれた歌、うつくしい歌をよむことであり、そこで秀逸な歌をつくることが、歌詠みの第一義の道である。こころも、ことばも、すべてむかしのそれにかえり、むかしのひとになりきって、かってかれらがつくりあげた風雅の世界に参上しようと努力するのも、そのためである。
…なぜなら、上代においては、こころも、ことばも、きたなくなっていったからである。…
『排蘆小船』

「あるがまま」でよいものなら、何を言擧げことあげする必要があるだろう。そんな気持ちを心に抱いて宣長が歌学という「論理」をたてたとき、あらわれた「手法=作為」は「ありのままなるものはここにはない」という命題であった。
以上のような「故郷喪失―現世否定」は、国学的『自然』からつらなる(一応国学から始まったとする、でももっと昔からかもしれない…)近代における日本的知識人の美学の根幹だといってかまわないだろう。その「理論」は谷口をどこに導いたのだろうか?

それは少しも遠い時代ではない。なぜなら僕は殆どそれを信じてゐるから。そして又、僕は、無要な諸観念の跳梁しないさういう時代に、世阿彌が美というものをどういう風に考へたかを思ひ、其処になんの疑はしいものがない事を確かめた。「物数を極めて、工夫を盡して後、花の失せぬところを知るべし」美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。小林秀雄『當麻』昭和17年4月

*1:『意匠日記』読売新聞社、昭和二九年に所收の版を用いた、p.83