「自己」の上昇の果てに…立原道造

廣松渉は昭和初期から戦争突入における時期に、広く一般に共通のある前提があったという興味深い話を披露している。

…昭和の初年には日米戦争の将来的不可避性ということが絶対確実な既定の事実として人々に意識されていた。当時の常識では戦争というものは謂わば自然法則的な必然であって、特定の一国が世界支配を達成するまでは永久に繰り返されるものと思い込まれていた。この前提的確信からすれば、そして、日本の敗退を認めたがらない心情があった以上は、恒久世界平和を確立し、全世界の安寧と秩序を確保するためには日本が戦争に勝ち抜き、最終戦に勝ち残ることが絶対的な要件として意識される。極く一部のマルクス主義的左翼等をのぞいて、"知識人"たると"大衆"たるとを問わず、それが"日本国民"の共通の了解事項であったといえよう。…ならびにまた、米国を盟主とする西洋と東亜の盟主たる日本との決戦は単なる力の対決ではなくして西洋的原理と東洋的原理との理念的対決として思念されていたこと、この事実を併せて明記しておかねばならない。*1

さしひいて考える必要があるかもしれないが、この究極的ともいえる前提が当時の「日本」思想の基調にあった、ことは建築家としての立原道造の存在の意味を検討するためにもたびたび想いおこす必要があるだろう。

*1:『〈近代の超克〉論昭和思想史への一断層』朝日出版者1980年、文中p.149、150