「MICHELANGELO頌」再訪

基本的に、「MICHELANGELO頌」は立原の『方法論』の骨格を受け継いでいる、といってよい。

生の諸力は、一度び成立して生の妨害者となった芸術に咬みつき、…古き形式を新しき形式で追ひやり、…結局は全文化様式の絶えざる變易が行われる。かかるもの飽くなき生の無限の結實性の記号であり、恐らくはその結果であって生は死と成、生と死の間に動く。
…私たち人間の身体の文化価値は古今同一であり、物的生産物の文化価値も同一であり、また如何に内容がかはっても芸術の価値は同一である。
今や私たちは、私たちの現代の建築のイデアへの出發の日にふたたびこの言葉を理解しなほさねばならない。即、最後の大きな輪である人類という言葉の意味を。グロピウス自身解釈したのとさへちがった私たちの解釋をここに加えて出發せねばならない。…私たちが私たちを常に理解しつづけたように全體體験をもつ全體人間・普遍人間にまで溶解された「人間」なる意味を感得せねばならない。『方法論』

と立原が言うとき、そこにはあきらかに「全体人間」いわば、「天才」への希求があった。その地平から近代建築の普及性が「生」を拒むものとして批判されるとき、丹下による同様の近代建築批判も理解されえる。丹下は「MICHELANGELO頌」において、ミケランジェロコルビジェという二人の「天才」を援用して、その強度を鼓舞するが、丹下のそのようなモチーフは立原のいう「人間の身体の文化価値」あるいは「生の諸力」を前提として繰り広げられていることは言をまたない。しかし、ここで問題にしたいのは彼らのあいだの差異にこそある。

■『方法論』(立原)と「MICHELANGELO頌」(丹下)その差異
立原の『方法論』における「天才」への希求は、「主観vs客観」、「自己vs社会」という二項対立よりひきおこされる、「生」の相対的な位置低下を回避する最終装置としてあった。そこでは畏敬の念をもって「天才」の可能性を示唆しているにすぎず、彼の最期においては、もはや「天才」指向そのものを破棄し、単独の表現者として、その衿持をただすことに可能性を見つけていったように思われる。しかし丹下はそれとは異なっている。

尚ほも、Michelangelo は一人の主観的芸術家と評し去られねばならないであろうか。彼の自我は高く彼の自我であったが故に、反って存在の深淵から聞こえては来ないであろうか。破壊の喧燥からも、建設の叫喚からも遠く、静寧に歴史が立ち停ったかに見えた時、彼の自我の内に、歴史の尖端の焔はもえ、歴史は究極の、貴重なる一歩を上昇したことを想へ。それは経験的実在的人間の自我とは同一ではない。むしろそれは存在の根底にある唯一の自我であり、その写像に於て彼は新たなる存在を建設するのである。「MICHELANGELO頌」

また彼はコルビジェミケランジェロと同様の「使命」を持った人として、こう述べる。

最高の使命の故に、壮大な孤独の中にあって、唯一人変貌し、転身しつつ創造し行く人、真に獨創する人にみられるあの暗き悲哀をさへ、そこに見る心地がするのである。(前掲に同じ)

彼は「天才」の存在を自明のものとする地点から話をはじめる。この点によって、丹下が立原の桎梏―「天才、全体人間」は希求されえるが、おのれは二項対立における「自己」をぬけでることができないというジレンマ―を感得しなかったことを理解することができる。丹下は一見らくらくと、昭和の知識人のジレンマをとびこえてしまったのである。

■「天才」の誕生…「私性」から「神性」へ
そのとき、「私性」は「神性」になった。丹下は「開かれた自我」へとみずからを跳躍させる。

吾々は如何なる思考の方法をも、彼を前にしては断念せざるを得ない。内奥には劇がある…
―余りにも豊かである故に、詩人は過ぎ去りしものを思ひ、来るべきものを待ちのぞむことに於て疲れ果て、この外見上の空虚の中で、しばしばただ眠りたいとねがふ。けれど彼は、この夜の無の内に固く立っている。詩人はかく自己の使命の故に最高の孤独の内にあって自己自身のもとにとどまっている。(前掲に同じ)

と、丹下はハイデッガーの一文を引用しながら、ミケランジェロの「自己」の絶対性を説く。しかしこのような思考は、ひいてはそれ自体を弱体化させることを僕たちは何度も検証してきた。例えば分離派はその様相を前にしてたちどまってしまったし、浪漫派は「自己」の惨落とともに、自らを共同体あるいは『自然』への還元にむけていなおりをきめこんだ。それらのデスペレートな「敗北」には、日本的特殊性としての「ありのままなる自然」という観念が、内部で強固に作動していたからだ。彼らは「天才」であるには、あまりに日本的に常識的だったのである。しかし丹下は、あまりに簡単に「天才」をつかんでしまった。

すでに時代の喧燥と叫喚と言へど、Michelangeloの深き睡りを醒ますことは出来ないであらう。彼は彼の内から醒めねばならぬ。歴史が新たなる時刻の焔を深く彼の内に燃やす時、彼の自我は新らたに醒めるのである。我々はその瞬間を「決断」と呼ぼう。(前掲に同じ)

丹下はミケランジェロを通して、「自己」内に、「自己にとっての外部」であるはずの「歴史」を無限定にとりこんでゆこうとする。しかしそれは「時代の喧燥と叫喚」という現実としての「外部」ではない。
「歴史」とは幻想でありながら「真なる外部」として機能することによって、それに揺り起こされた新たな「自我」を、決して「外部」に融解されえない「新たな絶体」として規定する。つまり「決断」とは花である。そして花はこちらがわにあるのだ。

…Nietzscheも亦ギリシア文化の根底に隠されたる根源力に想いを駆せたのである。…それは動乱狂酔、生成の神デイオニソスである。…可視的表象の世界の誕生に先立つて根底にはデイオニソスは憧憬し、渇望しなければならない。総て創造には、自身無形相でありながら、限定へのたへがたい衝動を内に含むものが先立たねばならない。
…創造の根底に大いなるパトスがある。このパトスは本質への飢餓であり、自身無形相でありながら、その無限定から限定への耐がたい要求を内に含む所の、光を待つ夜の姿に於て、吾々の思考に近づいて来るのである。(前掲に同じ)

おそらくニーチェの『悲劇の誕生』は、丹下に多くの示唆を与えたと思われる。「造形神・アポロvs音楽神・ディオニソス」という有名な二項対立は、混沌としたディオニソス側に花をもたせることによって、激情的な芸術家に広く歓迎されている。丹下はそれに準じながらもなお、先の二人の神性を統一し、包括する全てに先立つもの―「世界の意志」「根底の意志」―を設定する。
「自我」を超えた「世界の根底の意志」のなかで、創造することのできる「天才」は、「歴史的使命」を背負った者として参画する。「創造」は、無限定な「世界の意志」―とりこまれる外部性―から、限定的形象―とりこむ者としての自己―へ向けての架橋である。

然し、単に夢見つつ、夢遊病者の如くに創造は遂げられ得ない。…完全に醒めたる、歴史的な眸が参與しなければならない。…彼は一切の歴史の負荷を背負いつつ、それ故に、―未来の空虚な暗に向かって―世界からの衝動に促され、世界史の深く傾向的なもの(Lanke) を身に受けねばならない。かくて、彼は、未来と過去を、現在の一点に賭けて決断へと強いられるのである。…かくして自我の底が破れて、反って自我ならぬものから、新らたなる、より高き自我は誕生し来るのである。この生誕の不安を身に受けること、それが決断であらねばならぬ。(前掲に同じ)

単に「夢」を見ているだけでは「創造」はうみだしえない。そこに「完全に醒めた」「歴史的な眸」が必要だ、と丹下はいう。ここでも丹下は負けることはなかった。「世界の意志」を見る眸はわたくしの方にあるからである。そしてその眸は「完全に醒めている」、もはやその虚構の形而上にロマンティックに傾いてゆくこともない。「天才」は既に一個人ではなく、自我ならぬもの、「世界からの衝動」によって動かされ、「無意識」に創造をなし、「世界の根底の意志」の見る二つの矛盾した夢―アポロンディオニソス―を止揚することが彼の「歴史的使命」となる。またくわえて、彼は「アポロンディオニソスという西洋」をも「世界の根底の意志」によって超克しようとしている。
しかし同様の思考が、「近代の超克」前後にもあった。