建築構造学のその後の進展について思うこと

第二章では、明治建築を終わらせた構造学の大正期の制度的進展と、その本居的性格、そしてそれに対してのカウンターとしての分離派について書きました。単純に言えば構造家と建築家の対立の発生をとらえたものであり、両者のその根拠を国学的視点からあぶりだしたものです。
しかしながらその後、現在の構造デザインの進展によって、この章での見解は大きく揺らいでいるかもしれません。というのも構造家の方がデザインのキーを握っている状態が特に「被膜建築」あたりをその具体化の頂点として現われてきたのがこの10年ぐらいだったからです。僕自身はこの状態はゴシック末期に似ていると思い、そのなりゆきにとても興味を持っています。
という今の見解を前提にしつつ、ふたつだけ指摘しておきたいと思います。

  1. 建築家と構造家という対立は実はいまだに有効かもしれません。それはお互いに批評的に対峙することでよりすぐれた建築の形ができるようになるからです。どちらかがが一方に対して寄りかかるのではなくね。というのも僕は構造家というのは《重力の倫理者》だと思うのです。彼らの介入によって「すぐれた建築ができる」というより、建築が鍛えられるような気がする。そんな建築をみてみたいです。ブルネレスキみたいになってほしいと思います。ゴシック末期ではなく。
  2. 構造が建築制度を支えているのはいまだに確かなことです。しかしながら日本の建築構造が有効になるのは佐野のいう通り、狭小な場所にいかに安く早く地震にも頑丈な建物を造るかという命題に対してです。ということは実は日本の都市という場所を離れたらその意味がなくなってしまう。その限界性を認識する必要が日本の現代建築はあると思います。何のための「高度さ」なのかということですね。そうでなければ常に構造は姉歯_APA_構造認定制度事件に代表されるような利権問題を常に生み出すような場所になりえるということです。佐野が生きていたらなんて言うのだろうか。きっと激怒しているはずだと信じています。

明日からは、深い深い第三章にはいります。