「技術主義(実用主義)」の肥大化 

技術を「実用」にむすびつける思考形式は、佐野によって明白にナショナリズムのバック・ボーンを有するものであることをあらわにしている。それはインターナショナリズムあるいはモダニズム的思考が奇妙にも(実際奇妙ではないが)「内部」と連動し得るというイロニーをしめしている。

 日本の建築家は何であるべきか、…この問題に回答を与ふるものは唯一、今日の日本の事情より外ないのである、…早い話が、国家が最も多くの経費を投じて造営しつつあるものは倉庫工場のごとき純科学体であることを考えたならば国家の要求の主なるものは何であるかが推想される。
 着実なる国家現在の要求が以上の如くであり又国家現状にみて国民挙て實利を主とする要求をなすべきが至當であるとすれば日本の建築家は主として須く科学を基本とせる技術家であるべき事は明瞭である、…「如何にして最も強固に最も便益ある建物を最も廉価につくり得べきか」の問題解決が日本の建築家の主要なる職務でなければならぬ、…「建築家の覚悟」

本居的な「実用(実利)」に規定された「科学」「技術」は、ヨーロッパの近代建築運動がめざしたようなモダニズム的な総合化に向かわず、逆に「用vs美の二元論」を補強する貌をもって現れる。
同時期に別のやわらかい科学的思考をともなってあらわれた後藤慶二に代表される一派は、明確に「美術」と「構造」の二元論そのものののりこえを標榜したのに対し、その一元論的建築観と一見歩調をあわせながら、実は同論においても展開されているような「美術」を「作為」としてみる態度は、不用であるはずの折衷美術を「美術」という殻に孤立させたまま残存させ、すべての科学的思考を本居的な「内部」の方へとひき寄せる力として作用する。

斯くの如くして美的意匠は単純なれ、上品なれ、堅実なれ、決して華麗に流るる事を許すべきでない、要は實利の問題が主である。(同上)

様式建築が建築内部のみならず社会的な意味をも徐々に失ってゆく大正から昭和にかけての時期に「構造派」は様式を捨てるが、それは「用vs美の二元論」を超えたことにはならない。なぜならそのとき既に、「美術vs実用」という決して融合することのない対立的な意味あいを投影した、「建築家vs技術者」は、近代「日本国」建築の生産システム内部に、例えば職能として深く定位していたからである。