国学にみるナショナリズム―「外部―内部」的認識―の変遷

ここでいう国学とは、近世における学術の発達と「国家」意識の勃発とにともなって興った学問のことをいう。それは記・紀・万葉などの古典の、主として文献学的研究にもとずいて特に儒教、仏教伝来以前の「わが国」固有の「もの」を明らかにしようとすることが目的であった。鎖国にその機会を得たナショナリズムの純粋実験場としての国学は、直接「建築」に関係しないからといって、簡単に済ませることがはばかられるほど面白い。ここではいくつかの重要と思われるテーマを抽出して論じよう。
まず本稿においてはごく大ざっぱに二人の国学者を検討する。一人は初期国学においてその論理構造と導きだされる課題を著しえた大成者としての本居宣長(もとおり のりなが)をとりあげる。もう一人はその論理構造を踏襲しつつも、それを強固な「実体」として措定することによって、質的変化をもたらし近代日本におけるファナティックな皇道思想を準備したとされる平田篤胤(ひらた あつたね)である。
ここにおける国学とのつきあい方は、ナショナリズム―「外部―内部」的認識―に導きだされた学問が、一体どのような言語的世界を構築しえたのかを俯瞰的に把握する事であることを肝に命じて、いささか刺激の多いこの世界を踏みわけて行くことにしよう。